朝一番に窓を開けて・・外は霧の中 昨日、畑におかれた案山子はと・・ やはり霧の中にたたずんでいた・・ まるで3歳児が泣きながらこちらに 駆け寄ってくるようだった 朝焼け・・ほんの一瞬のうちに消えてしまった 東の空一面赤く燃えていた 地上にもその色が写しこまれていた・・・ #
by k-asahida
| 2012-07-25 10:30
| 朝日と雲
桧垣蓮台寺
九品山浄土院といい、開山から凡そ千有余年を経ているが往時は、僧房佳麗、仏閣整いその美を誇っていたが、次第に荒廃して修造もおよばず、長い衰微の時期があり、紛失した資料もおおいが、境内には草創期のものと目される檜垣石塔や、もと連台寺の境内にあったであろう隣接の天満宮内に岩戸観音への信仰厚い檜垣が井戸の水を汲んで日参したという井戸跡などがある。 現在の蓮台寺寺歴が始まったのは約350余年前、正保年間(1644年)京都の禅林寺から顕空文海上人が来住して再興に尽くし、寛文6年(1666)中興開山となってからである。さらに寛文11年、当時の藩主細川綱利公から寺領50石と恵心僧都作の阿弥陀仏のほか仏具、什器等の寄進を受けて寺院の面目を一新し、肥後の国第16番の巡礼の札所として行装の列でにぎわったと伝えられている。 境内にある千体の地蔵尊像は顕空上人の後、11代住職の明空上人が寛政年間(1790)当時白川の氾濫で水害や疫病でなくなった人々の冥福を祈り、荒れた田畑の復興と五穀豊穣を祈念して千日の托鉢行脚により人々の浄財を集めたり、大変な刻苦の末にできたものと言われている。 永い歳月の間、百体近くは破損したが残りは当時のまま延命地蔵、水子供養の地蔵として信仰を集め、今期の堂宇改築、寺域の整備に伴い、全国各地の信者よりその補充寄進が相次ぎ、再び千体の美観をととのえた。また、改築の際、慈眼に満ちた放牛地蔵(28体目)が発見された。 「檜垣の塔」 所在地 熊本市蓮台寺二丁目10番1号 浄土宗 西山禅林寺派 九品山浄土院 蓮台寺 文献 「肥後国蓮台寺縁起」「檜垣天満宮縁起」「檜垣集写」 「光明皇后筆写般若心経」 「中将姫筆写経佛説阿弥陀経」「慈覚大師筆書写佛説阿弥陀経」「中将姫筆写般若心経」 「浄土曼茶羅」「北野神社縁起絵巻」「可能常信筆下山の釈迦」「可能勝信筆涅槃図」 彫刻 「阿弥陀三尊ぞ像」「聖観音菩薩立像」「地蔵菩薩多建立像」「檜垣媼像」 「肥後33か所札所付」 金石類 「檜垣の塔」「千体地蔵尊石像」「放牛地蔵像」「本願経一字一石塔」「浄土妙典一字一石塔」 「標石柱」「法界供養碑」「梵鐘」 #
by k-asahida
| 2012-02-27 20:04
| その他
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by k-asahida
| 2009-10-04 07:54
| 朝日と雲
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